M1 Helmet of WW II WWII のM1ヘルメット(1941-1945)生産時期別特徴

M1ヘルメットシェル(外帽)
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◎最初期モデル 1941年7月〜1943年10月までの生産モデル

正面 背面 右側面 左側面
この外形が1980年代まで続く米軍ヘルメットの原型となる。ODの表面塗装やザラザラの仕上げは生産ロッドにより多少の違いがある。また、チンストラップを最大の長さに調整したときにもシェル後部に引っ掛けて固定することが、短い為に不可能なものも多く、当初その意図がなかったことを実証している。
フロントシーム クラック 裏面
シリアルマーキング
フィクスドベイル
「フチ」を正面真ん中でとめ合わせたフロントシーム。ステンレススチール製。 高圧形成による製造工程で生じる、初期型特有のクラック。 製造附合がバイザーの裏側に刻印される。 シェル本体に直接溶接で固定されたあごひも取付けループ。強度の低さは即、問題視された。
チンストラップ
フック
チンストラップ
バックル
チンストラップ
セット
チンストラップ
カラーバリエーション
ブラス製のチンストラップ、バックルとフックは、丸みを帯びた形状で削りだし工程を要するM1ヘルメット登場以前のM1917A1ヘルメットのパーツと同型であった。スチール製バックルとフックの同型品も製造されるが、きわめて短期間(1942年〜1943年)でブラスの打ち抜き型を用いた新型へと変わる。また、キャンバス部分の色はODシェード3と規定されているが、製造ロッドやメーカーによっての違いもあり、チンストラップの右と左の色が微妙に違うものも多数ある。


◎1943年10月〜1944年11月までの生産モデル

正面 背面 フロントシーム スイベルベイル
(フレキシブルベイル)
元型の改修により、クラックの発生が減少。 可動式のスイベル型となったあごひも取り付けループ。
チンストラップ
フック
チンストラップ
バックル
チンストラップ
セット
バックル2種
比較的角ばった形状のバックル。ブラス打ち抜き型により量産もより容易にしている。また、後のモデルではスチール製の同型へと移行する。 最初期型のチンストラップも変わらず使用され続ける。


◎最終期モデル 1944年11月〜1945年8月までの生産モデル

正面 背面 リアシーム スイベルベイル
「フチ」の材質がマンガンスチールになり、背面真ん中で止め合わせた、リアシームが大半となり、徐々に標準化していく。このシェル本体のパターンはWWII後1951年〜1952年の生産分において応用される。
チンストラップ
フック
チンストラップ
バックル
正面のフチ 裏面
シリアルマーキング
チンストラップのバックルとフックはスチール、アルミのブラックペイントになり、キャンバスもODシェード7へと規格変更。1944年7月よりボールリリースフックを付加させたT1チンストラップがすでに生産されていたが、未だ標準仕様には至らない。(1944年11月にT1チンストラップの本体への取付けパーツとしてM1944 ウェビングアタッチメントクリップも開発されている。)

大戦中生産のモデル3種は、各パーツの組み合わせが製造時期と必ずしも一致しない。最初期のシェル本体に改修型チンストラップが付いていたり、その逆もしかりである。最初期型においてはチンストラップの長さがループに縫い付けられた時点で一定しておらず、シェル後部に固定可能な長さの物でもギリギリ可能になっている物が多く、ほぼそれらはループによってキャンバス部の擦り切れが生じてしまっている。また、当然後部にゆとりをもって固定できる長さに取り付けられた物も、全く不可能な長さの物もあり、奇しくもチンストラップ部が美品状態で残っている物は、短く縫い付けられた物で、年を追う毎に希少価値が増している。


カムフラージュ
ヘルメットカバー
カムフラージュ
ヘルメットネットカバー
カーキウェブチンストラップ
バックルブラス製
いわゆるダックハンターパターンのデザインは、朝鮮戦争時にも生産が継承される。茶系と緑系のリバーシブル。海兵隊装備の代表でもある。 比較的英国製の流用が欧州戦線では多く見られ、また多種のバリエーションが存在する。 上より1st、2nd、3rd各タイプ。これ以降の生産分はスチール製になる。また、順に仕上工程が簡素化されている。

ヘルメットボディ(シェル)の生産総数
生産メーカー、ミシガン州デトロイトのマッコードラジエーターマニファクチャリングカンパニーとミズーリ州セントルイスのシュレーターマニファクチャリングカンパニーの2社でWWII終了時までの生産数は、合計22,363,015個と記録されている。


M1ヘルメットライナー(内帽)
最初期においては、ハウレイプロダクツ社製造のファイバー(ペーパー)ライナーが標準仕様(1941年〜1942年11月生産)となったが、1942年4月以降、低圧形成による、プラスチック製ライナーの開発、配備を経て、マインセフティアプリエンシズカンパニー(MSA)、インランドマニファクチャリングデビジョンオブジェネラルモータース(インランド)、ウエスティングハウスエレクトリックカンパニー、ファイヤストンタイヤアンドラバーカンパニー(ファイアストン)、カペックマニファクチャリングカンパニー(カペック)、シーマンペーパーカンパニー、インターナショナルモールデッドプラスティックスカンパニー(IMP)の7社によりWW II を代表する装備であり、かつWW II 最終型となるプラスチック製ヘルメットライナーが大量生産されることになる。




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初期型ファイバーライナーのファーストタイプ内装。ベースとパーツウェビングは、共にレイヨン製でホック固定式。また、チンストラップは取り外しできない固定式でサイズ調整可能なバックルを附加している。この内装パターンの一部または全部が後に採用される別材質のライナー2種にも流用される。本体内側のファイバーにはODペイントが施された。 レイヨン製ウェビングのスエットバンドとネックバンドにはサイズがあり、着用者に合わせた物を装着していた。
また、ワッシャーはノーペイントのストレイト型が用いられた。この内装はリッデルスタイルインテリアと呼ばれる。チンストラップは幅が狭く、耐久性にも乏しかった。また、チンストラップ基部の取付けにはウェビングの取り付けに用いられているリベットが流用された。
標準型ハイプレッシャープラスチックライナーの初期型内装。ウェビングがコットンに変わり、スエットバンドの固定方式もクリップ式になる。またスエットバンドは2つのワイヤーバックルによってサイズ調整可能となる。
ワッシャーもA型ノーペイントの物を採用、M1ヘルメットライナーの標準型内装となる。チンストラップも交換可能な着脱方式が用いられ、幅広に強化された。


スチール製バックルとフックの付いたカーキチンストラップ
コットン製ホック式内装
ODペイントを施されたセントクレア社製ライナー内側
1標準型内装への変換期には、コットン製のホック式内装やレイヨンとコットンウェブの混在、固定式チンストラップの流用など、イレギュラーなバリエーションが多々見られる。
また、同時期に生産されたセントクレア社製ロープレッシャープラスチックライナーは当初本体内側にもファイバーライナーと同様にODのペイントが施されていたが、程なく省略され、以後の生産分は全種ノーペイントとなる。

セントクレア社製のライナーは、イエローでSCのマークが、又フードラバー製の物はシルバーでHRのマークが施されている。
セントクレア社製のライナーのみ、外帽チンストラップの位置に曲線のあるデザインを採用しており、外観も特徴的になっている。


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ファイバーライナー ロープレッシャー(低圧形成)プラスチックライナー
ペーパーライナー、カードボードライナーとも呼ばれる。写真の様に耐久性に乏しくプラスチック製のものにその座を譲る。ウェビングはレイヨン製ホック式とコットン製クリップ式の2種がある(写真は後者) 本体に強度と柔軟性を与えようと、ラバーメーカー2社が製造にあたったが、量産に適した高圧形成のプラスチックライナーへと改良され、標準仕様となる。

結果的に3種のライナー、いずれもウェビングのシステムは、コットン製、レイヨン製が混在し、コットン製に落ち着いている。これは3種が短期間ではあるが、同時期に製造された事に起因する。
ハウレイプロダクツ製。ファイバーにコットンを張り付けた熱帯用ピスヘルメットの製造技術を応用し生産された。
41年の後半から42年11月までの間に3,977,000個が製造納入された。
フードラバーカンパニー製は極めて生産数が少ない。ロープレッシャープラスチックライナーの生産メーカーは、同社とセントクレアラバー社の2社。製造工程の複雑さとコストの高さから短期間生産であったため、現存するものは希少。

ロープレッシャー工法により生産されたライナーは、セントクレア社製が1,300,000個フードラバー社製が206,000個であった。42年9月30日以降標準型ライナーに替わる。


◎標準型 1942年9月〜1945年8月までの生産モデル

正面 背面 ウェビング チンストラップ
外観
バックル開放時、ストレイトエッジ(下)とロールドエッジ(上)の比較
全メーカーの物が同規格同形状で製造されたにもかかわらず、微妙なサイズ差があり、シェルとのかみ合わせの悪いものも多数存在する。チンストラップバックルはODペイントのストレイトエッジからODペイントのロールドエッジを経て、ブラックペイントのロールドエッジ型へと変革を遂げる。ブラックペイント(正しくはコーテッド)の時期より材質が鉄からブラスへと変わる。
メーカー
マーキング
Aワッシャー
ノーペイント
Aワッシャー
ODペイント
スエットバンド ネックバンド
裏側頭頂部にマークされたメーカー名。製造工程で他メーカーにバトンタッチした物は2つのメーカーマークが存在する。
*写真はインランド・ファイアストーン製のスタンプマーク。
製造年の古い順にノーペイント、ODペイント、ブラックペイントと変化を遂げるAワッシャー。材質も鉄からブラスへと変化していく。 当初2つのメタルバックルでサイズ調整していたが、写真の1バックル式が標準型となる、メタルパーツはOD。 サイズバリエーションのあるパーツであるが、終盤には調整可能型も配備。


コットンスエットバンドの初期型 アジャスタブル式のネックバンド ファイバーライナーの標準仕様であったレイヨン製のスエットバンドとネックバンド
ワイヤー製のツーバックル式。
短期間の生産でワンバックル式に替わる。
大戦末期より生産配備され、以後標準型となる。 共にホック固定式で、サイズ、バリエーションがある。3種のライナーバリエーションすべてに使用されたが、短期でコットン製ウェブに替わる。



WW II の空挺用ヘルメット NEW!! 




1941年4月、陸軍は空挺隊員用セパレートヘルメットの配備を構想し、テスト段階であったTS3ヘルメット(後のM1ヘルメット)をベースに空挺用に改良を加えたヘルメットセットを最初の試作品として紹介している。ジョージア州のフォートベニングでは、この試作品の完成に至るまでさまざまな空挺向テストがTS3ヘルメットを用いて行われた。
テストの結果、スタンダードな歩兵用ヘルメットは空挺隊員が降下動作に入ったときや、降下時、体が逆になったとき、またパラシュートが開いたときに脱げ落ちてしまう傾向があり、(内・外帽が分離しやすい傾向も含め)不適当であると結論づけられた。これらの問題をクリアするため、クオーターマスターコープスの研究開発部門は、他部門及び、民間メーカーと共にM1ヘルメットを空挺隊員の使用に適応させるべく、必要とされる改良の研究に取り組んだ。




空挺隊によって採用された改良後のM1ヘルメットは、スチールシェル(外帽)に凸ホック付のウェブチンストラップが取り付けられ、ライナーに付加された凹ホックとの連結によって、ライナーとシェルが降下中に外れない程度の固定性を実現した。またライナーには、ワイヤーバックル付のカーキコットンウェブAストラップも付けられ、裏地の付いたセーム革で生造されたチンカップとの連結により、着用者への固定性能をも高めた。

M2ヘルメット
1942年1月に最初の発注がなされた、このヘルメットは、1942年6月にM2という呼称が与えられた。M2ヘルメットの仕様書には、標準ループの代わりにDベイルチンストラップループを用いることが記述されている。このループの使用により着用者がウェブチンストラップをシェル後部で固定することが容易になった。後の43年春か夏ごろにエアボーンコマンドコープスは、標準のループでも充分使用に耐え、もはやDベイルチンストラップループは必要ないと宣言した。同年10月には、スタンダードM1ヘルメットと同様にスイベルベイルチンストラップループに変更された。

ヘルメットボディ(外帽)の生産
1942年1月〜1944年12月までの間、およそ148,000のヘルメットシェルがマッコードラジエターアンドマニファクチャリングカンパニーの在庫から得られ、同社によって空挺仕様へと改良がなされた。

ヘルメットライナー(内帽)の生産
空挺用ヘルメットライナーも同様に在庫品を空挺用に改良したものをM1パラシューティストヘルメットライナーと呼称した。1942年1月〜同年秋までの間、ハウレイプロダクツ社製のファイバー(ペーパー)ライナーが43,000個、またインランドマニファクチャリングデビジョン製のプラスティックライナーが75000個、同じく1942年秋のうちに、どちらもマッコードラジエター社によって空挺仕様に改良された。1943年9月〜1944年春までの間、ウエスティングハウス社によって、製造及び改良されたプラスチックライナーが供給されM1パラシューティストヘルメットライナーの最終生産ロッドが完了した。また、このロッドの終盤においてセーム革製のチンカップは、生産コストの引き下げを目的としてウェブチンカップに変更され、およそ40,000個が製造された。

M1Cヘルメット
1945年1月、これまでの空挺用ヘルメットの集大成とも言える、M1C空挺ヘルメットが陸軍によって標準化された。同年8月までの間に米陸軍は、392,000個のM1Cを調達している。
M1Cの特徴は、AストラップがODシェード7になり、鋳型のバックルが用いられ、シェルのウェブチンストラップもODシェード7となった点、そしてシェルの「フチ」がマンガンスチールに変更された点である。

他のバリエーション
空挺用M2、M1Cヘルメット以外のバリエーションについては、単にパラシューティストヘルメットボディ&M1パラシューティストヘルメットライナーと呼称した。(43年10月までに製造された標準型固定溶接ループのシェルを用いた空挺型ヘルメット(※右写真)やスイベルベイルを用いた44年末までの生産分空挺型ヘルメットなど)またM1C用のライナーからは、M1パラシューティストライナーの呼称が消える。



生産総数
第2次世界大戦中に生産された空挺用ヘルメットの総数は、540,000個で、M1Cが大半を占め、そのうちの相当数が後の朝鮮戦争でも流用されている。

追記
通常装備等と同様に仕様規格にかかわらず、前後の規格パーツが用いられたユニットも多数存在した。M1Cライナーのワイヤーバックル付のAストラップ等は、本来キャストバックルを用いるところを在庫の処理にワイヤーバックルを使用している例である。


M2ヘルメットのDベイル。溶接部分の形状からスクエアチップと呼ばれ、特徴のひとつとされる。 M1ヘルメットシェルを用いたパラシューティストヘルメットセット。 M1Cヘルメット、シェルはスペック通りの物。マンガンスチールリムのOD#7ウェブチンストラップ付き。
ライナーの内装。スタンダードライナーの内装も確立していなかった時期だけにコットン製のホック固定式になっている。また、セントクレア社やウエスティングハウス等、公開されている記録には見当たらないメーカーの物も同時期には存在する。 インランド社製空挺ライナーの内装。ノーペイントAワッシャー、ワイヤバックルスエットバンドが用いられている。
ウェブチンストラップの固定用ドットファスナー(ホック)は、ニッケル製とブラス製がある。パーツの製造ロッドにより、ウェビングの色調、ホックのサイズ等に違いがある。
M1C用ライナーの初期ロッドと思われる内装。カーキウェビングにブラックコートされたブラス製Aワッシャー。
リベットもブラス製の物が使用されているが、Aストラップのバックルはワイヤー型を流用している。


スチールキャストバックル付きのAストラップ。OD#7のウェビングが用いられている。
内装のウェビングは、カーキのHBTが変わらず使用されている。
写真はM1C用のライナーで、ブラス製のワッシャー、リベットが使われている。ちなみに、同型でODペイントが施されたスチール製ワッシャー、リベットを用いた物は43年9月から44年春までの間にウェスティングハウス社で製造された物の最終ロッド品。ウェブチンカップとともに支給され、M1C用ライナーのスペックベースとなった。 M1Cヘルメットセットは空挺ヘルメットの中でも最も認知度が高く、ヘルメット、空挺両コレクターの間でも、入手したいアイテムの筆頭に挙げられる。


究極のコレクション
WWIIの空挺ヘルメットは、現存する物が希少で、かなりの高額な取引対象となっている。通常のスタンダードインファントリーヘルメットと比較しても、格段の差がある。そもそも滅多に市場で見かける機会が少ないだけに、ひとたびオークション等で出品された時は、程度により10,000ドルを超える事も珍しくない。購入金額を問題にしないコレクターの価値観にはミリタリーコレクションを極めるロマンを感じるとともに、空挺ヘルメットが世界有数の逸品となっている現実に納得せざるを得ない。

大変貴重なM1ヘルメット販売もございます。
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